札幌地方裁判所 昭和41年(わ)467号 判決 1966年12月26日
被告人 林武蔵こと林竹蔵
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実は、
『被告人は、昭和四一年六月一六日午後八時頃、札幌市琴似町山の手一条六丁目二六一番地沢岡工務店宿舎二階の自室において、同僚の沖田末吉(当四九年)と飲酒中、同人と喧嘩となり同人を足蹴りし、また同人と取つ組み合うなどの暴行をなしたところ、中島武雄が仲裁に入つたため一旦おさまつたが、間もなく同所において、右沖田と再度喧嘩となり、同人の脚部を掴んで倒し同人に組みつき、またその場にあつた焼酎壜で同人の頭部を殴打するなどの暴行をなし、よつて数時間後に同所において、同人を硬脳膜外出血により死亡させたものである。』と言うにある。
二、そこで、当裁判所は審理を遂げたのであるが、本件公訴事実中、起訴状記載の時期及び場所において沖田末吉(当時四九才)が硬脳膜外出血に因り死亡した事実は、司法警察員作成の実況見分調書、医師桑野潔作成の死体検案書及び同錫谷徹作成の昭和四一年六月二三日付鑑定書を総合してこれを認めることが出来るけれども、当裁判所が取調べた全証拠を詳さに精査・検討しても、右沖田の死亡が起訴状摘示の如き被告人の行為に因つて発生したと言う点については、これを積極に肯認するに足るだけの資料に欠けるもの、言い換えると、その証明が未だ不十分であるとの結論に達したので、以下その理由の骨子を説明する。
三、(一) 沖田末吉死亡前の状況
関係各証拠によると、六月一六日(年数を省略しているのは、総て昭和四一年を指す。)午後三時頃被告人は本件死亡現場たる沢岡工務店宿舎(以下単に「本件宿舎」とも略称する。)二階の自室で独り焼酎を飲酒していた際、被告人とは職場の同僚で被告人同様同室に寄寓していた赤石忠雄(当時四九才)が帰居したので、両名共に焼酎を飲み続け、午後六時頃四合入焼酎壜二本が空になつたため、更に四合入焼酎壜二本と豚肉とを買求め、電気焜炉で肉鍋を囲みながら両名が焼酎を飲んでいたところ、暫くして前同僚右居室で起居していた外出中の沖田が帰宅して酒席に加わつたこと、然るに、午後八時頃その場において酔余被告人と沖田との間で口論が始まり、同人が被告人の喉部を手で締付けたり、被告人に「俺は元警察官だ。アイヌ位殺しても罪にならない。」等嘲弄的・挑発的な言辞を浴びせ、被告人の顔面を殴打した外その顔を足蹴りする等して両名取組合いの喧嘩となつたが(因みに被告人はいわゆる先住民族である。)、被告人側からは特に沖田を殴打する等の行為に及ばなかつたこと、その直後、沖田は本件宿舎二階西端の中島武雄(当時四九才。妻子あり。)の居室に赴き、同人に対し、「俺の寝ている処を殴り掛かつて来たから叩いてやつた。」等告げていたが、これに続き、被告人も同所に至り中島夫妻に一〇〇円札を示し、「叩かれたから一一〇番に電話して呉れ。」と頼んだこと、その際中島夫妻が見たところでは被告人は目の上を青く腫らせ鼻血を流していたこと、そこには偶々赤石も来合せていたが、中島武雄が被告人・沖田両名を宥めて仲直りさせた結果両名間の喧嘩も一応収束し、被告人、沖田、赤石の三名は交々自室に引揚げたことをそれぞれ認めることが出来る。
(二) 高橋寅一が本件宿舎に帰宅した以後の状況
関係各証拠を総合すると、概ね次の事実を認めることが出来る。即ち、高橋寅一(当時五二才)は六月一六日午後九時半頃外出先から本件宿舎に帰り来て、先ず前記中島夫妻の居室に立寄つたところ、武雄から前判示の如き被告人・沖田間の喧嘩の件を知らされた。そして、高橋が自己の起居している本件被告人等の居室に至ると、同室の略々中央部付近の肉鍋周辺に焼酎壜の破片が散乱しているのを発見、又、入口から左側(同室北側)の布団には赤石が、右側(同室南方)の布団には沖田が夫々寝ていたが、被告人の姿は見当らなかつた。そこで、高橋が沖田の左手を見たところ、指に負傷しているのに気付き、同人を起こし、中島夫妻を呼び、同人等が沖田の手指の傷の手当をしたが、その際沖田の後頭部に血液がこびりついて居てその辺りに約二センチメートルの長さを有する挫創を発見したので、頭部にも包帯を巻く等の応急措置を施して同人を寝かせた。その後午後一〇時過頃、右居室内に被告人の姿を見掛けないのを怪訝に思つた中島武雄と高橋が宿舎内を捜したところ、一階空室内で被告人が独り寝ているのを発見、風邪をひくから二階自室に上つて寝るよう勧めると被告人は酔いを醒ますため此処に居ると答えたので、武雄・高橋両名は、被告人をその場に残した儘各自の居室に戻つて就床した。
(三) 沖田末吉の死因となる行為の発生時刻
関係各証拠によると、前判示の如く午後八時頃被告人と沖田の両名が喧嘩して中島夫妻の居室に赴いた時点において、少くとも同夫妻の目撃した範囲では、沖田の頭部等に別段傷害らしきものが発見されず、その後午後九時三〇分頃高橋が中島夫妻と共に沖田の介抱に当つた際、その後頭部に長さ約二センチメートルの挫創を発見したことが認められ、一方、錫谷医師作成の六月二三日付鑑定書によると、沖田の頭部には後頭部に長さ約二・五センチメートルの挫創が存する以外には、格別の特記すべき外傷がなく、又、その死因たる硬脳膜外出血は右挫創と同一の打撃に基づき惹起させられたことを認定出来る。尚これに付加して、錫谷医師の当公判廷における供述中受傷推定時刻に関する部分をも考慮すると、概ね前記(一)、(二)の各事実と近接した約一時間乃至一時間三〇分の時間帯の間に、沖田の後頭部挫創の原因たる何等かの打撃が加えられた事実を推認し得る。
四、よつて、以上の諸点を念頭に置き、検察官主張の如く被告人が沖田の頭部を焼酎壜で殴打する等の暴行を加えたとの事実を肯認出来るか否かにつき考察を加えることとする。
(一) 被告人の当公判廷における供述及び捜査段階の各供述調書を通じ、その弁解の意とするところを要約すれば、前記三の(一)判示の事実の後自室に戻り赤石の布団に入つて寝ていると、沖田から突如「この野郎、どうして寝ているんだ。」と怒鳴られ、頭部を蹴飛ばされ、更に起上ると顔を殴られたので、同人の脚を掴んでかじりつくや同人が引繰り返つたため、その場に留まると再度同人から殴打等の乱暴を加えられるやも予測し難いと危惧し、難を避けるべく、宿舎一階の空室に至り同所で寝て居たと言うにある。又、被告人の検察官に対する各供述調書中には、その際傍らにあつた焼酎壜で沖田を殴つたように思う趣旨の供述記載があり受命裁判官の証人中島ヤス子に対する証人尋問調書及び同女の検察官に対する供述調書中には、同女が本件宿舎の外で花火を観て後二階に通ずる階段(因みに、本件宿舎の階段は、一箇所しかない。)から屋内に入ろうとした際、被告人と出会つたが、その時被告人が「奥さん。殺されるから、旅館に泊る。」と発言していた旨の供述記載が存し、更に受命裁判官の証人中島武雄に対する証人尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書中には、中島夫妻が沖田の介抱に当つた際(前記三の(二)参照)、沖田が「返り討にあつた。アイヌなど殺してやる。」と叫んでいた旨の供述記載があり、これに加えて、前示認定の如く、事件現場に被告人が単独若しくは何人かと共に飲んだと思われる焼酎壜の破片が散乱していた事実、錫谷医師作成の六月二三日付鑑定書及び同人の当公判廷における供述によれば、沖田の頭部の傷(挫創)は『比較的鈍円な面を有する硬鈍体』による打撃に起因するもので、かかる硬鈍体の一例として、焼酎壜の如き物体を考えても矛盾しないと認められること、沖田の受傷前と思われる頃に被告人が沖田に殴打される等両者間で喧嘩のあつた事実(本項冒頭部分参照)に付加して、前示三で判示した一連の事実関係を総合すると、被告人が後刻破片の散乱していたことが発見された焼酎壜で沖田の頭部を殴打したのではないかと言う嫌疑は相当濃厚である。
(二) 然し、他方、沖田に対し、その死因を形成したと思われる打撃が加えられたと推定される時刻に本件沖田の死亡現場に居合せた可能性のある者としては、被告人の外、赤石、高橋、中島夫妻(同夫妻には子供達が居るが、論外に置いてよかろう。)の各人物が存在するところ(錫谷証言によれば、打撃推定時刻の幅は午後六時三〇分頃以降午後一〇時三〇分の四時間に跨がる故、高橋の臨場可能性も決して稀薄ではない)、これ等の者の中に『真犯人』が存する蓋然性が抹消されている訳ではなく、就中赤石については、可成りの疑惑なしとしない。即ち、
1 赤石は、検察官に対する供述調書中及び当公判廷における供述において、被告人と沖田との間の喧嘩は一切目撃して居らず両者が中島夫妻の居室に駆込んで来て始めて右喧嘩を知つたこと又、自分が本件沖田の死亡と接する時刻頃に同人と喧嘩したような事実は皆無である旨頗る断定的に述べたり、或いはその旨の供述記載が存するけれども、翻つて、受命裁判官の証人中島武雄に対する証人尋問調書によると、六月一六日午後六時頃被告人と赤石とが組んで沖田と喧嘩していたとか、同人が赤石も殴つてやるぞと怒嗚つていて、そのため赤石は宿舎の下から沖田に向つて「出て来い。柔道の手で投げてやる。」等大声を発していたし、午後八時頃沖田と被告人が中島夫妻の居室に来た際、沖田は被告人・赤石の両名に、「お前等の二人や三人束になつて掛かつて来ても負けない。」等と叫んでいたり、沖田は中島武雄に「俺の寝ている処を林と赤石の二人で二階の窓から投げようとしたから、叩いてやつた。」旨話した趣旨の重要な供述記載が存し、明らかに赤石の述べるところとの間に顕著な矛盾がある。又、被告人は、当公判廷において、自分の外、沖田と赤石との三人で焼酎を飲んでいた際、沖田が赤石の面前で、赤石がうるさい事を言つたら、拳骨で殴つてやればいいと言つていたとか、午後八時頃沖田に叩かれて中島の部屋に行つた時赤石が沖田のことを悪い奴だと非難していたとも供述している。これ等の点から見ると、沖田の死亡と近接する時期に同人と赤石との間にも何がしかの悶着なり感情的不和が存在していたこと、換言すると、赤石においても沖田に対する暴行行為の動機が伏在したのではないかと言う推測が成立つのである。
2 赤石は、検察官の取調に際し、「被告人と沖田とが仲直りした後中島夫妻の居室から表へ出て焼酎を買いに行つたが、既に閉店していたので自室に戻ると、自室の電灯が点つており、沖田が独り寝ていて、被告人の姿は見当らなかつた。そこで自分は直ぐ布団に入つて寝た。」旨供述しており、当公判廷でも概ね同趣旨の証言をなし、尚、約三〇分位の間花火を観るため外出していたが、自室に帰つた際には、壜の破片が散らかつていた旨証言している。
ところが、被告人は、当公判廷において、被告人が「中島夫妻の居室から帰り、赤石の布団に入つて寝ている処を沖田に蹴飛ばされたが、その折赤石と二人で寝ている事に気付いた。沖田から乱暴を加えられて階下へ逃出した際には、赤石も自室に居たと思う。」旨を述べ、又、右の如く自室を逃出す時には電灯が消えていたとも述べている。
従つて、右の点で、赤石証言なり同人の捜査段階での供述は、明白に被告人の供述内容と矛盾しているが、その真実性=信用性の如何については、何れに軍配を挙げるべきか的確な判定資料がなく、赤石供述に全面的信頼を寄せるのは極めて危険である。証人中島武雄、同中島ヤス子の両名とも、受命裁判官による証人尋問の際、赤石が焼酌を買いに行くのを見掛けたと供述しているから、赤石が暫時本件の事件現場を離れた事実は先ず真実と考えて差支えないと思われるが、その時期及び不在時間については定かでなく、この点に関する想定如何によつては、次項で示す如き赤石供述の微妙さとも相俟ち、同人に絡まる疑惑が一段とその色合いを濃くすると言わねばならない。
3 赤石は、検察官に対する供述調書及び当公判廷における供述中において、午後八時頃の被告人・沖田間の喧嘩の際には、現場に居合せず、中島夫妻の居室でテレビを観ていたので、両名の喧嘩は目撃しなかつたと述べているが、中島武雄、中島ヤス子の両者は捜査段階の検察官に対する参考人としての供述及び受命裁判官の証人尋問の双方において、赤石が自分達の部屋へテレビを観に来た事実を明確に否定しており、尚、赤石がその頃相当酩酊していたため、正確な記憶保持に期待を懐き難いと共に、無批判に中島夫妻の供述に全幅の信を措く訳にはゆかない点を考慮しても、赤石が被告人と沖田との悶着には直接の関係がないものの如く装おつているのではないかと疑われる。本件の事実関係について、当事者を除外すれば、凡ゆる意味で最も近接的な立場に在り、従つて、事の真相と実情に関し最も重要な知識経験を有すると考えられる赤石が、一方においては目撃者でないことを可成り断定的に強調しつつ、他方、事件の核心に触れる如き事柄に及ぶと、極めて曖昧な供述を行なつたり酩酊等の理由を掲げて逃避的で迂遠な返答をなしている背後に、余人の測り知れない何等かの事情が潜在しているのではないか、頗る割切れぬ印象を禁ずることが出来ない。
以上の諸点を総合考慮すると、被告人以外にも本件の真犯人たる疑惑の濃厚な人物が現存することを否み切れず、この点の疑念が払拭されない限り、被告人につき有罪の心証を形成するには遅疑逡巡を余儀なくせしめられると言うべきである。
五、更に、本件において暴行の用に供せられた凶器となつた旨検察官が主張している焼酌壜の「握り」の部分に被告人の指紋が検出されたという証拠は全く皆無であり(この点は、初動捜査に当つた関係捜査官がその検出を怠つたことが略々明白であるが、矢張り、慎重さと緻密さとを欠く証拠保全の態度に反省を促して置きたい。)、又、錫谷医師作成の鑑定書二通によれば、沖田の血液型はABO式ではO型、MN式ではMN型であるのに対し、事件当時被告人の着用していた丸首シャツに付着していた血痕の血液型は「O型M型」若しくは「B型MN型」であることが認められ、少くとも、被告人の指紋が凶器の一部からでも検出されたとか、沖田の受傷出血に伴う同人の血液が被告人の着衣に付着していたと言う如き、被告人と犯罪行為とを結び付ける科学的・客観的証拠が略々不存在に類することも亦、被告人について有罪の確信を形成する上で到底見逃し得ない重要な疑いを投ずるものと言う外ない。
六、結論
以上の通り、四の(二)及び五の部分で説示した諸事情を総合的に評価すると、本件公訴事実につき被告人を有罪と断ずるには、尚、合理的疑問を差挾む余地ありと言わざるを得ず(敢て一言するに本件の捜査を担当した札幌西警察署の係官は、六月一六日夜被告人と沖田とが喧嘩していた旨の中島ヤス子の供述等から殆んど躊躇なく被告人を容疑者と断定した如くであるが、この点に少からぬ問題が存したと言えよう。)、果して然らば、被告人に対しては、犯罪の証明がないものとして、刑訴三三六条により無罪を言渡すべく、よつて、主文の通り判決する。
(裁判官 辻三雄 角谷三千夫 下沢悦夫)